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マインド

自己承認をし、自己肯定感を上げないといけない理由

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自己承認を行って、自己肯定感を上げる。

自己肯定感上げることは、自分を信じること、自分を好きになること、自分を愛することだ。

あなたは、自分が信じる人、好きな人、愛する人を否定するだろうか。

自分が嫌いな人よりも、信じる人や好きな人、愛する人の意見を疑うだろうか。

自分を信じ、好きになり、愛すれば、他人に植え付けられた感情を手放し、自分が本当に感じている感情を肯定できるのだと思う。

 

私たちの心の憶測は恐れで満ちている

私たちの心の中は、恐れで満ち溢れている。

怖くて怖くて仕方がない。

これは、生きるための本能。

恐怖はあってもいい感情だ。

人が生きていく上で、恐怖がなければ、危険なことを回避することができなくなってしまう。

それでは、生命としての危機をもたらす。

だから、恐怖は別段普通。

持っていてもいい感情なのだ。

がしかし、それが本当に危険なことを知る恐怖であればだ。

例えば、死に直面するような事を恐ろしいと思うことは当然だろう。

がしかしと言ったのは、ほとんどの恐怖は、我々が生きていくうえでのモラルや常識と同じで、親から植え付けられたものだということだ。

その中には、子供の事を思いやって植え付けた恐怖心もあるだろう。

親自身が恐怖に思っていることを子供に植え付けたこともあるだろう。

親が、自分の感情の発露に、子供に植え付けてしまった感情もあるだろう。

こう言った、本当の意味で恐怖しなければならないわけではない恐怖。

親から植え付けられた、本当は恐怖しなくてもいいい恐怖。

そんな恐怖を捨て去ることができなければ、本当の意味での幸せはない。

自分たちの中に満ち溢れている恐怖は、本当は恐怖しなくてもいい事で、親から植え付けられてしまったことだと認識し、この恐怖を手放せば、新たに見えてくる世界は何の恐怖もない新天地が広がっているのだ。

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恐れを手ばなすと、あらゆる悩みから自由になる

大鶴和江さん著書「恐れを手放すと、あらゆる悩みから自由になれる」の中には恐怖が親から植え付けられたものであることが、詳しく説明されている。

親から植え付けられた物が、恐怖だけではないことも書かれている。

善悪の感情、恐れ、それらは親から幼少期に植え付けられたものなのだ。

さらに、植え付けられた善悪の感情に基づく自分への評価も植え付けられたものだ。

自分はダメな人間だ、自分なんて価値がない。

その様に思うのも、親との関係から植え付けられてしまったものだ。

でも、恐怖が親の感じたものに過ぎないように、善悪もまた親が感じているものだ。

住む場所が変われば善悪も変わる。

自分に向けられた、自分の評価もまた親の評価で正しい評価ではないのだ。

まず、自分の評価は、本当ではないと言うことを知る。

自分が思う自分の評価は親との関係で作られた虚像であることを認め、自分を許して、承認する。

そうしないと、本当に自分が感じるであろう幸せや、やりたい事は、心の中に封印されて出てこないのだ。

 

嫌な部分も認めないと始まらないのはなぜか

自分が自分に下している評価。

その嫌な自分の評価を見つめなおすことから始めないといけない。

自分の嫌いな部分いやな部分が、本当に第三者から見てもダメなのかを見つめなおさないといけない。

さらに、それが外国へでも同じ評価なのかを知ることも必要だ。

本当は、嫌な部分、ダメだと思っている部分は、ダメじゃないかもしれない。

 

嫌な部分も含めて見つめなおしてみる

見たくない自分の嫌な部分を見つめなおしてみる。

自分の嫌いな部分を見つめなおして、じっくり考えてみる。

自分の嫌いなところは、本当にダメな部分なのか?

論理的に考えると、それって全然ダメじゃないかもって事が出てくるかもしれない。

嫌だ怖いのほとんどの部分は人から植え付けられたもの

自分の嫌だと思っていることは、ほとんど人から植えつけれたもの。

本当にダメなのか考えてみる。

いろんな角度で見てみると、案外それほどダメじゃないのかもって思えるかもしれない。

幼いころ、親に対してそうせざるを得ない事情があったのかもしれない。

仕方なかったと思ってあげよう。

その親から植え付けられた感情は親に返してしまおう。

 

他人軸にある人の価値観を外し恐怖に感じていた事が本当かを問い直す

親に戒められてきた価値観。

他人軸で押し付けられてきた価値観は、自分の感情とは同じではない。

恐怖している事も、本当に恐ろしいことなのか、それとも親の常識だったのかを見つめなおす事が必要だ。

金銭的な恐怖は、親の金銭的な恐怖心に引っ張られている。

でも、本当にその恐怖心は必要なのかを自分に問い詰める。

どうも、本当でないと思ったら、親の恐怖心は親に返そう。

 

恐怖心と嫌悪感を外すと「やってはいけない」と抑え込んでいた感情が芽吹きだす「やりたいこと」の見つけ方

私たちの心の中は戒めで雁字搦めになっている。

戒めは、恐怖心や嫌悪感に後押しされて、強固な扉となって自分の心の「やりたいこと」を隠している。

「やってはいけない」のはなぜか、それは「やると怖い」や「やると嫌な気分」だからできない。

心の戒めは、恐怖と嫌悪で縛られているのだ。

でも、その恐怖と嫌悪は他人から、親から植え付けられたものだった。

恐怖する必要のないもの、嫌悪する必要の無いものが多く含まれている。

怖い、嫌だって感情が働くことを人は見ないようにしている。

やりたいことが無い。

そういう人も本当に無いわけではないのだ。

本当にやりたい事を見てしまうと、やりたくなるので、それは他人から植え付けられた戒めに反する。

だから、見てみないふりをする。

意識の下に隠してしまうのだ。

でも、怖い、嫌だが本当でないと理解すると、「やってもいい」と思えるようになる。

すると、見ないふりしていた「やりたいこと」が芽吹きだすのだ。

 

 

自分軸で自分のやりたい事をやると楽しいことだらけって当たり前

人からあれやりなさい、これやりなさいってやらされても面白くない。

これは誰でも経験していること。

でも、自分がやりたいと思ってたことでも苦痛になるのはどうしてか。

それは、自分がやりたいと思っていたことは、実は他人軸で植え付けられていた事だからだ。

本当の「やりたいこと」を戒めの牢獄に閉じ込めて、見ないふりをして、他人に植え付けられた「やりたいと思っていたこと」をやろうとしてたのだ。

でも、他人軸で植え付けられた「やりたいこと」は楽しくなくて当たり前。

本当にやりたい事でないのだから。

偽りの恐怖と嫌悪から解放されて、本当に自分軸で見つけたやりたい事。

そんな「やりたいこと」をやって行くと楽しいことだらけだ。

自分を受け入れ、自己肯定を高めると、他人に植え付けられた恐怖が偽りだと思える。

大好きな自分が思っていることが正しくて、大嫌いな人植え付けた価値観が正しいわけがないと思えるからだ。

自分を好きになって、自己肯定感高め、他人の感情を否定できれば、偽りの恐怖や嫌悪から解放され、真に「やりたいこと」が見えてくる。

その「やりたいこと」を実行するとき、障害は何もないのだ。

 

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